棋士・女流棋士がふりかえる100年

中村真梨花女流三段「現会館の思い出やエピソード」

中村真梨花

女流三段

将棋会館に初めて足を踏み入れたのは、小学校低学年の時だった。正確な年齢は覚えていないが、多分、8歳かそこらではないだろうか。
幼い私にとって、将棋会館は夢の国のような存在だった。
当時は神奈川の藤沢市に住んでいたので、千駄ヶ谷までの片道2時間は小旅行のような気持ちだった。
憧れのプロ棋士の先生方がそこで戦っている。
いつも雑誌の中でしか会えない棋士とすれ違う事も稀にあると幸運を感じたものだ。
二階の道場で普段、指せない強い子と対局し、売店に行けば、詰将棋の本や扇子など、いつもは買えないものが手に入る。
幼い少女にとっては、目に映るものがキラキラと輝いていた。
負けてガックリとしてしまった日は、優しい祖母やパワフルな母に手を引かれ、今はない会館の地下にあった食堂でクリームソーダや、今は別の店になっている「白馬」という喫茶店でピザトーストを齧って帰った。
女流棋士になる前の育成会時代は、よく負けて泣いていたから、辛い記憶も多いはずなのだが、将棋会館の思い出を振り返るときは、不思議とワクワクしていた頃の事ばかり思い出し、ジュエリーボックスの中に大切にしまいこんだ宝石を取り出すような気持ちになるのである。
同時に勝負師の宿命か、苦い敗戦の記憶もよみがえるのは仕方ないところだろう。
嬉しい日も悔しい日も、将棋会館の空気は穏やかで少しひんやりとしていた。
それが勝負の静謐さだと感じたのは、女流棋士になってからだったと思う。
初めて将棋会館に足を踏み入れた時から、どれだけの年月が流れても、変わらないものがあると感じる。
それは、将棋連盟が今の形でなかった頃、また戦前や戦後の混乱の中でも、将棋界の先輩たちが遺してくださったものであり、また今、将棋を覚えばかりの子供たちに、いずれ伝えていくものなのだろう。
まもなく、将棋連盟は創立100周年を迎える。
自分自身、本当に小さな存在ではあるが、女流棋士として、その将棋の歴史の一ページに加われるのが、光栄でもあり、またプレッシャーでもある。
今後、新たな将棋会館で沢山の勝負を指すだろう。
苦しい局面を粘る事もあるかもしれない。
いずれにせよ、身の引き締まる思いだ。
また新たな局面に向かって、焦らず、しっかりと歩を進めていきたい。