青野 照市
九段
木村義雄14世名人と、塚田正夫名誉十段に直接会った棋士は、私より少し後輩が最後で、今ではほんのわずかと思う。
それでも塚田は1977年(63歳)まで現役を続けたから、私は1局指している。
この写真は木村が名人を取り返した、1949年の皇居「済寧館」の対局と思われるが、角換わり腰掛銀から金を4七に上がり、最後4八金と引く手が決め手になったことはよく覚えている。
木村はこの塚田と、升田幸三第四代実力制名人は、負かす相手。大山康晴15世名人は後継者と位置付けていた節がある。
木村は将棋界の格を上げてくれた棋士で、相撲の升席を借り切って観戦するパフォーマンスを見せた。塚田は他人との関係において我関せずで、何人かで料理屋に行った時も、飲むだけ飲んだら「これ僕の分」と言い、お金を置いて先に帰る人だった。
勝負師は借りも貸しも作らない、と言う主義のようで、一本筋が通っている感じがした。