棋士・女流棋士がふりかえる100年

高田尚平七段「将棋手帳」

高田尚平

七段

半世紀ほど前の記憶でも、かなり鮮明に残っているものもあれば、氷河が溶けていくように消えてしまったり、年月の経過のうちに形を変えてしまったものもある。
 そのような記憶を確かめる手がかりとして、日記などに書いて残しておいたものが頼りになる。
 1972年12月、小学4年ではじめて将棋手帳を買い使い始めた。同じ年のある日曜日に「将棋、やってみないか」と父に言われて始めたのがきっかけだが、その季節を思い出すことができない。
 将棋手帳には成績などをつけるページがある。横1行に、12月29日、将棋道場の強いおじさん、2まい落ち、●、両入玉こまかず負け、といったように。最後のところはメモ欄だが「らく勝」「頭がいたくなり負け」など子どもらしくいろいろだ。
 振り返って見て、昇級に関することはほとんど書いていない。大人に勝つことができたり、年代を問わず勝てなかった相手に勝てるようになっていくことがただただ楽しかったのだと思う。
 「将棋世界」を購読し始めたのも同じ頃なので、プロ棋士という職業があることは知っていたが、棋士になりたいと思うのはずっとあとのことだ。中学1年でアマ四段になってもその意識は薄かった(今では遅いことが理由になりそうだが、それが理由ではなかった)。
 小学6年の頃から電車で通うようになっていた将棋センターの席主に「奨励会を受けてみないか」と言われた。中学3年になった頃だと思う。背中を押してもらうひと言で、受動的なプロ志望ともいえるが、どこかでそのようなきっかけを待っていたのかもしれない。
 中学3年の終わりに奨励会に入会してからは気持ちの方向性が決まった。6級で入会して四段になるまで11年かかることになるが、根拠なくいつかは棋士になれると思い込んでいた。
 将棋手帳にはプチ日記的なことを細かな字で書き込んできた。連日みっちりと書いている時期もあれば、数ヶ月空白期間があったり、かなりの波はあるが、今も続いている。
 これを書くにあたり小学生の時の将棋手帳を開いてみたが、懐かしい部分があったり、記憶の整理のようなこともできた。
 ただ、10代後半から20代はきっと青くさいことも書いているはずで、今はそれを開いて見る気にはなれない。