棋士・女流棋士がふりかえる100年

上村亘五段「師匠との思い出」

上村亘

五段

 師匠の中村修九段に弟子入りしたのは小学6年生、奨励会を受ける前だった。
 将棋界は師匠なくしては棋士を目指すことはできない。特に教室に通うでもなく、大会でも実績のない私に師匠をお願いできる棋士はおらず、困っていた。

 運命的なきっかけは、師匠の解説会に私の父が参加したことだ。将棋会館道場では三段で指していたはずの父は、自称アマ四段の力自慢。師匠に将棋の質問をどんどん投げかけていたと聞く。解説会終了後も丁寧に対応する師匠から扇子のプレゼントもあった。父は「実はうちに息子がいて、奨励会を目指したいと言っておりまして・・」。奨励会を目指したい本人がその場におらず、失礼以外の何物でもないのだが。
 中村九段は当時、奨励会の幹事だった。今でこそ奨励会幹事が弟子をとることも珍しくないが、本来は奨励会員全員に公平であるべき立場。一度目のお願いは当然の断りだった。ただ、その後に師匠は奨励会幹事を退任。そこで図々しくも再度お願いを申し出たのだ。今思えば、私は師匠と父の間でのやり取りに助けられただけでろくに挨拶もできていなかった。
 師匠と初めて会った日、父に「それでお前、(将棋に)自信はあるのか?」と聞かれ「まあある」と答えた記憶があるが、こんな生半可な自信でやっていけるほど甘い世界ではない。ただただ、このとき師匠の引き受けがなければ、今の自分はないということである。

 奨励会級位者時代、同門の三宅潤さんを含めた研究会が開催された。ある日、調布の道場で将棋を指させていただいたことがあった。そのときも席主に挨拶できていない私に、師匠は「しっかり挨拶しないといけないよ」。当然のことだが、ものわかりの遅い自分にそのときは響いておらず、年月が経つにつれてようやく響くようになった気がする。
 奨励会時代、師匠から奨励会の棋譜ノートの添削があり、初段の頃まで続いた。師匠が昨年、将棋栄誉敢闘賞を達成した際、同門の香川女流四段のYouTubeチャンネルで「(奨励会の棋譜を)添削すると言ってうちに放ってある」と話していたが、私の認識ではそんなこともない。添削ノートは返されていると思う。
 そういえば、「この一手だけはいい手」と厳しく添削された棋譜もあった。その当時はやはりものわかりが遅く、今頃になってわかるのだから、先が思いやられる。ただ、自分もいつかは弟子をとって、師匠のようにきちんとした面倒見をしたいと思っている。