棋士・女流棋士がふりかえる100年

神吉宏充七段「師匠との思い出」

神吉宏充

七段

 対局で関西将棋会館に来ると、大抵食事は一階のイレブンというレストランで済ませていた。今はルールが厳しく、食事をする場所は決まっているが、当時は外にでも食事に行けたし、おおらかなものだった。私がイレブンを覗くと、師匠の内藤國雄先生が端っこで昼食を注文していた。メニューは決まってバターライスセット。ピラフにスープとサラダが付いていて、私も必ず注文していた。プラスハンバーグ定食も。そこで師匠と雑談、笑いながら昼食を済ませるのが定跡だった。
 私は17歳の時にアマ名人戦で全国3位になり、そのままプロになりたかった。しかし年齢的に無理やとどこに行っても門前払い。態度もデカイ私を引き取ってもらえるところはなく、地元で就職、大会に出て楽しむぐらいしかなかった。そこで内藤先生を知っているという方と出会い、紹介していただくことになった。
「そうか。皆に断られたか。しゃーないなあ、わしの弟子で試験受けてええよ」
その一言がなければ、この世界と縁はなかったのである。
「あとは自分の力で何とかせい!」
師匠のその言葉は19歳で奨励会を受ける私への励ましの一言だった。試験は有段者を連破し1級合格。そして四段まで4年数カ月でプロ入り出来たのである。
 あれから何年経っても笑顔でカウンターに座り、師匠と二人で食べるバターライスは、優しさと慈愛の気持ちをいつも頂いて、一人で食べるときより何倍も美味かった。