棋士・女流棋士がふりかえる100年

長沼洋八段「現会館の思い出やエピソード」

長沼洋

八段

自分が16歳の時にできた関西将棋会館。それから40年以上お世話になっているが、もうすぐお別れとなる。
あっというまに時が過ぎた感じである。はたして原稿を埋めることができるか。
まず、この会館、5階が対局室になっている。そして、対局場が博物館の役割を兼ねていた。江戸城の御黒書院を模したもの、ということで、御上段の間(おんじょうだんのま)と御下段の間、(おんげだんのま)と分かれていた。読み方は最初よくわからなくて、ごかだん、とか言っていた気がする。おん、とは読めなかった。
上段の間は、まわりより一段高く作られていて、はじめのころはみな転びそうになっていた。今も気を付けないと危ない。
そして廊下があるのだが、歩くとミシッ、ミシッ、と音が鳴るようになっていた。将軍のお使いになった部屋であるので、だれか近づいたらわかるようになっていたのだ。(鴬張り)博物館として忠実に再現していたのだが、これはいつの日からか絨毯のようなものがひかれ、音が小さくなった。自分は気にならなかったのだが、音がうるさい、という意見がでたような気がする。
あと、芙蓉の間、がなかった。これは小さな庭園のようになっていた。白い石が美しい模様を作っていて、とてもきれいだったと思うのだが、対局室に使われることになって、庭園は部屋になった。
4階、エレベーターを降りてすぐ左手の部屋も、博物館になっていた。いろいろな種類の将棋が展示されていた。これは2006年10月31日に閉鎖された、と今調べて分かった。自分はその日順位戦だったが、お昼休みに見に行って、感慨深かったのを覚えている。今は大阪商業大学に移転されている。そして、部屋はミーティングルームとなり、教室や、食事をしたり、控室になったりと活用されている。
4階は、二部屋対局室があるのだが、その向かいにお風呂があった。4階の対局室は泊まれるようになっているのだが、宿泊者用のお風呂だった。自分は2回くらい入ったことがある。というか2回しか入ったことがない、というべきか。ただ、利用者が少なかったのと、部屋が足りない、ということで、今は職員の方の休憩室になっているかと思う。お風呂があった期間は数年、今調べてもわからないが、短い期間だったような気がする。
3階は事務所。これは広くなった。初めの時の倍以上の広さになった。職員の方々も倍増していてありがたいことだ。
2階は道場。2020年からの変化が一番大きい。盤の数が少なくなった。それはおいといて、喫煙スペースができたのはいつからだろう。そして、道場が禁煙になったのはいつからか、これは思い出せない。
一階はレストランイレブンがある。これは創業からある。マスタ-もお元気だ。珍豚美人の読み方が、わからなかった。ちんとんしゃんだが、これもずっと変わらずおいしい。最初にいただいたときは感動した。もう一つのお店は何代目だろう。40年あるので、替わるのも普通だ。5代目くらい?
高槻の将棋会館ができるのが楽しみ。自分もまだまだ頑張りたいと思う。