棋士・女流棋士がふりかえる100年

高浜愛子女流1級「現会館の思い出やエピソード」

高浜愛子

女流1級

私は大阪出身の為関西将棋会館は勿論、東京の将棋会館もそれぞれ沢山の思い出があります。
福島区にある関西将棋会館は私の地元でもあります。
アマチュア時代には週に4日以上は自転車で通っておりました。
道場で沢山腕を磨き、日曜日や平日の夜に行われているトーナメントに参加し、級が上がっていくのがとても嬉しくなりました。
そして有段者を目指して毎日夢中になっていました。
しかし実は将棋を始める前から関西将棋会館に行っていました。将棋好きの祖父が元々道場へよく通っており、その流れで一階にある『レストランイレブン』という洋食屋さんに家族で頻繁に食べに行っていました。私の妹はマスターに「いつもの!」と言うとオーダーが通ってしまう程のいわば常連です。
プロ棋士の先生もよく食べに来られていたので、祖父がどんな先生なのかを度々嬉しそうに教えてくれました。
当時小学生だった時に故村山聖九段ともイレブンでお会いしました。
この事は今思うと凄い事です!そしてその時も祖父が説明してくれた事は忘れられない嬉しい思い出の1つです。
研修会で実力をつけ、当時女流棋士になる為に育成会へ入会し、更に将棋に本格的に打ち込みました。
育成会は東京の将棋会館で行われていたので、その時に初めて東京の将棋会館へ行きました。
育成会員時代はみんなで激しい競い合いでした。
しかし今では長く仲良くしていただいているかけがえのない親友や友達もほとんどがこの時のメンバーです。
今思うと、とても良い青春時代でした。
女流棋士になってからは関東に移籍し、東京の将棋会館に対局やお仕事で通う機会が増えました。女流2級に昇級する大一番の対局に勝利し、正式に女流棋士になれた事は私の人生で最も嬉しい出来事でした。
まだまだ将棋会館での思い出は、関西、東京共に書き切れない程本当に沢山あります。
全ての思い出が私の宝物です。