棋士・女流棋士がふりかえる100年

櫛田陽一七段「現会館の思い出やエピソード」

櫛田陽一

七段

私の将棋会館の思い出について書かせていただく。私が今の将棋会館に初めて行ったのは中学2年生のときであった。
 当時の私は少年キングと言うマンガ誌に連載していた5五の龍というつのだじろう先生が書いていたマンガを見て将棋に関心を持ち将棋のルールを覚えた。私には三つ下の弟がいて弟は私より早く将棋を覚えて、父親や近所の人達と将棋を指していた。
 弟も私と同じく5五の龍を読んでいて、このマンガに少年キング主催の小学生の将棋大会が将棋会館で開催されるので参加したいと言うので、私が付き添いで付いて行く事になった。将棋会館の事はマンガでよく紹介されていたので、私も行ってみたいという気持が有った。当時の私は東京都三鷹市に住んでいたので、千駄ヶ谷は近いので親も心良く送りだしてくれた。二人で将棋会館に着いた時は弟と二人で感動したものだ。
 ここが日本の将棋の総本山なのだと。
 この時はまさか私が、アマトップになりこの将棋会館で戦い、奨励会に入会してプロ棋士になり、この将棋会館で苦しく辛い思い出と嬉しい思い出を長い間味わう事になるとは夢にも思わなかった。私にとっては運命の瞬間だったと言える。大会に参加した弟は一回戦で負けて、私と二人で将棋会館の二階に有る将棋連盟道場で将棋を指して帰った。
 私は10級で弟は8級だった。この事がきっかけで弟と二人で日曜日は将棋会館道場に通う事になった。
 それから4年後の17才の時私は支部名人戦の東地区大会で優勝して、西地区大会で優勝した原岡純一郎さんという方と将棋会館の特別対局室で東西決戦を指す事になった。日曜日なのでアマ同士の対局でも特別対局室で指す事が出来るのだ。この後特別対局室で何度も指す事になるが、この日が初めてで、そして初勝利になった。将棋会館の特別対局室で指して、勝つのは棋士にとっては特別の思いが有る。私にとって将棋会館の思い出は悪い思い出より良い思い出のほうが多かった気がする。この将棋会館が移転するのはさびしい気もするが、時の流れであるから仕方ない事だと思う。