棋士・女流棋士がふりかえる100年

石高澄恵女流二段「現会館の思い出やエピソード」

石高澄恵

女流二段

高校を卒業した直後の1985年4月に女流育成会へ入会、1年目は北海道から東京の将棋会館まで通い、例会前日は5階にあった宿泊室に泊まりました。
宿泊室のテレビを点けると、特別対局室で行われている対局の盤面がモニターに映し出されていることがあり、指し手を予想したり感想戦(無音)の様子を見つめるのが好きでした。
例会は5階の「香雲の間」で行うことが多く、幹事の石田和雄現九段や当時奨励会員だった勝又清和現七段にもお世話になりました。
昼食は地下1階にあったレストラン「歩(あゆみ)」で全員揃って食べ、ちょっとした癒しの空間でした。
地下1階には「週刊将棋編集部」もあり、女流棋士になってから何年かアルバイトをさせてもらいました。
記録係も多くやりましたが、ある日4時間の棋戦を取っていたら指し直し等で長引き、感想戦を終えたのが真夜中の2時になってしまいました。
当時は最後まで正座を崩さないと決めていたので、頑張って最後まで正座をしていたら足にミミズ腫れができてしまったので、それ以降は無理し過ぎないようにしています。
対局中、15時になるとお茶菓子やミカンなどのオヤツが運ばれてきたのは古き良き時代でした。
もっとも、女流棋戦の場合はその時間帯にオヤツを食べる余裕はなかなかないので、感想戦の時や帰り際に分け合うこともあった気がします。
関西将棋会館の対局では、以前は記録係の方が急須で玄米茶を淹れてくださるのが楽しみでした。
人によって濃すぎることがあるとも聞いていますが、個人的には毎回美味しくいただいていたので感謝しています。