棋士・女流棋士がふりかえる100年

宮田敦史七段「現会館の思い出やエピソード」

宮田敦史

七段

私は埼玉県北葛飾郡吉川町という所で生まれた。今は埼玉県吉川市という名称になっているが、当時は今よりも更に人が少なく過疎だったのだろう。
自分の家から最寄り駅の吉川駅までは徒歩7分程だっただろうか。そして当時は吉川駅から、将棋会館のある千駄ヶ谷駅まで片道610円の切符を買って、片道1時間以上かけて通っていた。乗り換えも2〜3回ある。
今は都内に住んでおり、将棋会館のもう一つの最寄り駅、国立競技場駅まで乗り換えなしで30分弱、280円で行ける今と比べると大違いだ。しかも今調べたらやや値上げして650円になっている。時代の流れを感じる。
奨励会入会までは埼玉から母に連れて行って貰っていた。その後は一人で通うようになった。

アマチュア時代は将棋会館の道場で何度も何度も指していた。最終的には五段まで行った。後手で相横歩をよく指していた気がする。また、最初の内は子供将棋スクールにも通い、当時奨励会三段の庄司俊之さんに教わったり、長田弘道さんの四間飛車に46左銀急戦で挑みズタボロにされた記憶がある。
その内研修会にも行くようになった。幹事の石川先生に「ただ好きなだけじゃなく、情熱を持って好きじゃないとダメだ」と、朝の挨拶で言われたのを覚えている。

昔は地下に歩(あゆみ)と言うレストランがあり、そこで良く昼食を食べていたが、なくなったのは非常に残念である。また、その頃に買った(貰った?)駒型のキーホルダーは(都内に引っ越す時に?)捨ててしまったようだが、今考えたらかなり勿体なかった。

また関西将棋会館に初めて行った時の事も覚えている。三段リーグを指す為に、飯島栄治三段(当時)と一緒に新幹線で行ったのだが、車内で詰将棋を出し合ったり、大阪に着いて、将棋会館の近くのレストランで一緒に食事をしたりしたが、そのお店を含め色々な店がなくなってしまった。
また、3回目の大阪遠征では何も知らずにこだまに乗ってしまい、酷く時間が掛かってイライラした事も覚えている。
また、関西の将棋会館にもレストランがあり、何回か食事した覚えがあるが、最近は会館内で食事する事もすっかりなくなってしまった。せっかくなので、また利用したい。

東西どちらも思い出が沢山あり、どちらも数年以内になくなると言うか移転するようで残念だが、進化の為に必要と言う事で割り切って次に進みたい。