棋士・女流棋士がふりかえる100年

阿部光瑠七段「現会館の思い出やエピソード」

阿部光瑠

七段

私は連盟から送られてきた一通のメールに目を通すなり、頭を悩ませつつも同時に、過去の出来事を懐かしさに浸るように思い返してもいた。

ちなみに何故、頭を悩ませているのかと言うと、

『現将棋会館の思い出やエピソードはありますか?』
 
こういう内容のメールを、私のスマホくんが受信してしまったからだ。別に現将棋会館に対する思い出が皆無だから頭を悩ませているわけではなく、思い出とはいえ、ただ単純に自分のことを書くのは恥ずかしいし、どうしても逡巡してしまう気持ちがあるのだ。

しかし恥ずかしがっていては一歩も前進しないので、そろそろ本題の【現将棋会館の思い出】に入ろうと思う。あれはたしか、14年か15年前の出来事だっただろうか。

当時奨励会員だった私は、青森から東京まで夜行バスで通っていたのだが、2連勝で初段昇段がかかった奨励会の日に悪天候のせいでバスが到着に遅れ、奨励会の開始時刻に間に合わず、私は初めて遅刻した。昇段も逃すという特大のおまけ付きで。

それから、悪天候とか気にせず対局に集中できるように、奨励会前日には将棋会館に宿泊するようになった。(現在は宿泊不可)

奨励会前日に将棋会館に泊まるようになってから、遅刻や悪天候を無駄に気にすることもなくなり、精神的にもちょっぴり安定したおかげか、奨励会の勝ち星も少しずつ増えた。また、私と同じように前日将棋会館に泊まる遠征組の二人とも出会い仲良くなることができた。

基本的に奨励会前日は息詰まることが多く、冗談でも"楽しい"と思えたことは一度もなかった。前日泊まるようになってからは、仲良くなった遠征組の二人と駄弁り、練習将棋を指し、一緒に夕飯を食べに行ったりもした。二人と仲良くなるにつれて、【香雲】という部屋に寝泊まりしていたはずの二人が、香雲から私の部屋に布団を運び、明らかにシングルと言える部屋に二人分の布団を敷いて、野郎三人で月2回――主に奨励会前日だが、寝泊まりするようになった。

たった月2回、されど月2回の日々を繰り返しているうちに、私にも心境の変化が訪れた。いつの間にか奨励会前日を楽しみだと思うようになっていたのだ。

私は二人のおかげで物事に対する楽しさを知り、ただただ苦しかった筈の奨励会に"楽しさ"を二人が齎してくれたのだ。私にとってこの頃が一番充実しており、将棋会館で心から楽しかったと素直に思える出来事だ。

新将棋会館が設立され、現将棋会館の原形が無くなったとしても、この思い出は私の中の幸せな思い出の一つとして、生涯心に残り続けるだろう。