棋士・女流棋士がふりかえる100年

村田智穂女流二段「初心者の頃の思い出」

村田智穂

女流二段

「4歳で将棋を覚えました」と言うと、「そんなに小さなころから?!」とよく驚かれます。これは両親から聞いたもので、自分自身では知らないうちに将棋を指していた感覚です。
家の環境が大きかったのかもしれません。3歳年上の兄が毎日のように将棋を指しており、兄が夢中になっているものを真似したかったのでしょう。次第に、小学校から帰ると兄妹で近くの道場に行き、仕事を終えた父が迎えに来るという日もよくありました。
私は将棋がメインというよりは道場の受付にいるお姉さんに懐き、よくまとわりついていた記憶があります。ワンコインでうどんを作ってもらえるのですが、それがとても美味しくて、頼む頻度も多かったように思います。
昔の道場で教えて頂いた方に大人になってから会うと「ややこしかってんから!(活発で大変だった)」とよく言われます。負けると泣いてしまう、困った子どもだったようです。しかし当時の記憶と言えば“うどん”で、ご迷惑をおかけした皆さんには申し訳ない気持ちです。いま思うと、うどんは私の機嫌をよくするアイテムだったのかもしれません。
小学校の高学年になると、土日は将棋大会か関西将棋会館か加古川将棋センターの3択になりました。平日は車で30分以上かかる公民館のこども教室にいったり、自宅教室を開いていらっしゃる所へ行ったり、どんどん活動範囲が多くなりました。

関西将棋会館は小学5年生の時までは母の付き添いがありました。朝から夕方まで待っていてくれ、いつも漢字クロスワードを解いていた光景を覚えています。改めて思うと、往復3時間の道のりを毎回付き合ってくれていたことには感謝しかありません。
一人で行くようになり、顔馴染みの職員さんに「今日お母さんは?」と聞かれたときに「家で昼寝」と答えると、かなり怒られました。お母さんごめんなさい。
連盟には現在のレディースセミナーの前身である「女性サロン」があり、研修会に入るまで通っていました。当時は御上段で指導対局があって贅沢な空間でした。そのときも教室に来ていた別のお姉さんに懐いていており、いまも交流しています。将棋にはかけがえのない出会いも頂きました。
こうして昔を思い出しながら書いていると、多くの方のお世話になっているなと改めて実感しました。そしてやはり両親に感謝です。