棋士・女流棋士がふりかえる100年

上村亘五段「初心者の頃の思い出」

上村亘

五段

 初心者の頃の記憶というのがあまりない。今でも将棋教室などで、「どうしたら強くなれますか?」という問いには明確な答えがないのだ。ただ一つ言えるのは、その課題は初心者からトッププロまで共通だということである。
 私自身は、将棋を教わった父や祖父に十枚落ちから教わり、勝てるようになったら八枚落ち、六枚落ちと進んでいった記憶がある。中でも六枚落ちは卒業するのに苦労した。1筋の端攻めを敢行する際に、数の攻めが理解できていないのか、△2三金の形でよく受け止められていた。それをクリアできたあたりで小学生名人戦に初めて出て、東京将棋会館道場に通うようになっただろうか。次に壁を感じたのは、アマ5級のとき、速攻棒銀の受け方を知らず、道場で完敗を喫した頃だ。銀香交換の駒損でも馬を作れば優勢、という概念がわからなかった。そのあたりの壁を超え、単純な攻めはうまくいかない、となったあたりからアマ初段に近づいただろうか。
 アマ有段者になり、しばらくは居飛車党だった。横歩取りの△4五角戦法や相横歩取りなど、奇襲気味の戦法が楽しく、よく指していた。そしてアマ三段~四段の頃だったか、居飛車党から振り飛車党に転向した。それも四間飛車ばかりである。以降、小学6年生で奨励会に入り、奨励会初段の頃まで、筆者は四間飛車党を続けていた。今が居飛車一辺倒だから、振り飛車党だったと言うとよく驚かれる。
 小学5年でアマ四段の頃だったか、将棋会館道場のアマ高段者の方から「強くなりたいなら、四間飛車ばかりではなく、角換わりとか難しい将棋も勉強した方がいいよ」とアドバイスをいただいたことがある。しかし、小学生の筆者は聞く耳を持たなかった。そこでもし角換わり党に転向していたら、良いか悪いかはともかく、違った将棋人生になっていたかもしれない。
 将棋会館で道場に通ったり、研修会に通ったりする時間は楽しいものだった。道場ではひたすら将棋を指し、手合カードが一枚では入りきらないこともあった。また、土日は先着十六人のトーナメント戦に出ようと、道場入口で朝早くから並んだのが懐かしい。研修会のときは一般開放されていない東京将棋会館の3階以上に上がれることに感激を覚えた。
 奨励会に入るまでの小学生時代は会館内を走り回ることもあり、迷惑をかける悪い子供だったが・・。当時の純粋に楽しいという時代に戻ってみたい気持ちもある。