棋士・女流棋士がふりかえる100年

井田明宏四段「初心者の頃の思い出」

井田明宏

四段

「私が居飛車党になった理由」

 私が将棋を覚えたのは山口県に住んでいた小学1年生の夏頃だった。父が読んでいた新聞の囲碁将棋欄が目に留まったのだ。もし囲碁の方に興味を示していたら、囲碁棋士を志していたかもしれない。
 最近、徳田拳士四段が初の山口県出身棋士となった。つまり私が子供の頃は山口県在住の棋士はおらず、本などで独学するしかなかった。ネット将棋や市販の将棋ソフトで実戦には困らなかったが、疑問点を聞ける相手が居なかったのでその点は難儀した。
 将棋を覚えたての頃は居飛車だけでなく振り飛車も指していた。その当時は角交換振り飛車という戦法はまだなく、「振り飛車は角交換をするな」という格言も存在した。井田少年はある時、後手番を持った時に☗7六歩☖3四歩☗2二角成とされると振り飛車にできないのかな、と疑問を抱いた。棋士になった今なら「☗2二角成とすると先手は一手損になるからやってこないよ」とか「角交換振り飛車という戦法もあるよ」と少年時代の自分にアドバイスできるが、井田少年はその疑問を解消できず、とうとう振り飛車を断念してしまった。
 それから18年ほどたち、AIの将棋もその当時からは考えられない程に強くなったが、級位者の上達には人間の棋士のほうが手助けできる。なぜならAIは「なぜこの手がいい手なのか」は説明してくれないからだ。
 今では私の子供の頃と違い、地方在住でも棋士の教えに触れやすくなった。YouTubeでは数多の棋士が級位者向けの動画を出しており、ネット将棋で指導対局を行う棋士や指導棋士も格段に増えている。私も棋士になり、上達を目指す方々へ助力ができる一員になった。かの日の井田少年のように疑問を抱える人たちの力になれるよう、尽力していきたい。