棋士・女流棋士がふりかえる100年

窪田義行七段「師匠との思い出」

窪田義行

七段

「師の弟子も師も同然」

 最初に師弟関係について意識したのは(故)平野広吉六段がご主催の土曜教室での事だと思うが、畏友たる岡崎洋七段と知己を得た後にその師匠だからという流れで小学校3年生頃に入会したと記憶している。
一方、小学4年生の時に通っていた上野将棋センターで後に弟子入りする(故)花村元司九段に飛車落ちでご指導頂く機会を得た。
 大師匠・木村義雄十四世名人の名著たる「将棋大観」は下手が仕掛けから攻勢を維持して『剛能く柔を破る』的な手順が主だが、『妖(刀)』の切れ味を思い知った1局だった。
 5年生の時に父の上司の奥様が師匠の奥様のご姉妹だというご縁を辿って自然に入門したが、平野六段からは「有望株を引き抜かれた」という構図でもある。
後に、花村師匠と平野六段は親分子分の関係だったと聞き及んでひと安心したのみならず、当時師範代としてご指導頂いた所司和晴七段が手塩に掛けた孫弟子が多士済々の昨今だけにご容赦頂ける物と確信している。
 師匠は『東海の鬼』ながら東京都北区西日暮里のご自宅にお住まいで、'84年正月の年始参りで1局指南を受け師匠の四間飛車に5七銀型急戦で挑んだ事が懐かしい。
やがて至近の西日暮里将棋サロンに土曜の夕方に通う様になり、当時新四段の森下卓九段の緒戦で3連勝したが本気モードで逆襲された挙句に泣き出した事が思い起こされる。九段によると『師匠に怒られた事はない』との由で私も短い間ながら可愛がられたが、『一門後援会の明治大正の皆さんは厳しかった』との事で羨ましくなった。
因みに、九段の亡きご祖母様に一度お目に掛った折りに文法的な言葉遣いの誤りを厳しくご指摘頂き、今も思い起こしつつ推敲している。
(故)石川賢省(けんしょう)(株)石川金網会長は、棋士修行こそないが師匠を生業ばかりか人生の師として崇敬しつつ逝去後も後援会の筆頭的にご支援頂き、私もお世話になりかつ温和なお人柄に感化されたので、おしどり夫婦の奥様共々感謝に堪えない。
 以前、某人気アニメの創作台詞『師の師といえば師も同然(註:と大師匠が孫弟子に宣った)』が視聴者からネタ扱いされたが、寧ろ「師の弟子も師も同然」と断言したい。