宮田敦史七段「師匠との思い出」
宮田敦史
七段
私の師匠・所司和晴との出会いは小学生の頃まで遡る。
私の地元、吉川(埼玉県)から武蔵野線で3駅隣に南流山駅(千葉県)があり、そこから歩いてちょっとで、所司土曜教室のやっている南流山福祉会館に行けるのだ。尚、今は吉川の隣に吉川美南と言う駅ができ、吉川⇄南流山は4駅となっている。
その教室は毎週開かれていたが、私は毎週通っていたかどうか。ちょっとその辺は記憶にないが、殆ど毎週だったと思う。大人や子供、沢山の人がいて、名前や顔も覚えているが、特に田中則輝さんと言う方には非常にお世話になった。師匠が休みの時は田中さんが代わりに指導して下さっていた。その方も既に鬼籍に入られており、時代の流れとは言え寂しい。
師匠には駒落ちや平手で何十局と教わったが、駒落ちの将棋の内容は殆ど思い出せない。平手は私が先手で矢倉や角換わりをよくやったような覚えがある。奨励会級位者の頃、島先生の角換わりの本と同じに進み、そこで▲4一金と言う研究手を指して勝たせていただいた覚えもある。
南流山に通い出して数ヶ月で、いくらか遠い北習志野の将棋クラブにも通い始めた。こちらは指導よりも、棋力が近い者同士の練習対局の場と言う感じで、ここでは同世代の奨励会員と指したり、師匠と定跡の研究をしたり、大勢で詰将棋を解いたりが多かった気がする。
師匠に公式戦で教わった事は2017年に一度だけあるが、師匠が先手で矢倉を志向したのに対し、私は△6三銀型左美濃急戦で対抗した。難しい将棋だったが、最後はどうしても私が少し足りなかったようで恩返しはならなかった。師匠が七段、私は六段の時だった。
先日南流山福祉会館に行ったら、建物自体はまだあったが、将棋教室はもう開かれていない。また、北習志野の将棋クラブはとっくになくなっていた。寂しい限りである。