棋士・女流棋士がふりかえる100年

大野八一雄七段「師匠との思い出」

大野八一雄

七段

 私が師匠と初めてお会いしたのは、昭和50年の夏でした。
 私が将棋の世界に興味を持ち、棋士を目指したいと言うのを父に言えなかった母が、知人の紹介で椎橋金司四段を家に招き、私の希望を諦めさせる為でした。
 母の願いは叶わずに、指導を受けたら私は椎橋門下になっていました。(笑)
 奨励会試験の初日は、朝から師匠が応援に来てくれました。
 幸い、初日に3連勝してその日に入会が決まりました。(当時は6局指し3勝で合格)
 師匠が27歳、私が16歳と棋界で一番年齢差の少ない師弟が誕生した訳です。

 師匠は、173㎝、80kgと体格が良く、小柄な私にとっては恐い存在でした。
 最初に雷が落ちたのは、入会半年後に4級で低迷していた時でした。
 「4級なんて奨励会員ではない!ゴミと一緒だ!ゴミと言われたくなかったら早く2級になれ!2級になったら奨励会員だと認める」
 その成果があったのか?一年後に初段になることができました。
 初段になったら直ぐに稽古先で指導、道場の手合い係をすることになりました。
 私が19歳で初段でくすぶっていた時に実家を出て一人暮らしをする決断ができたのは、師匠からの仕事があったのが大きかったです。

 21歳の時に三段に昇りましたら、師匠が連盟に来ていてニコニコ顔で「ヤイチオちゃん、今日から麻雀とお酒は、四段になるまで禁止ね」と言われました。
 口元は笑っていましたが目が据わっており、約束を破ったら大変なことになると、1年1ヶ月、一切、麻雀を打ちませんでした。

 四段になり師匠のお宅に挨拶に行きましたら、「ヤイチオちゃん、人前では師弟だけど2人の時は兄弟でいこう」と言われました。
 師匠には、弟子にしていただいた頃から随分と可愛がって頂きました。
 師匠とは師弟戦を1局だけ指しました。
 対局の朝、棋士の表情は緊張して顔が強張っているものですが、終始師匠は笑顔でした。

 2009年1月15日、師匠が昏睡状態に陥りました。私は、師匠の様子を夜の9時まで見て帰路に着きました。
 翌日の朝の9時16分に永眠されたと千駄ヶ谷のルノアールで聞きました。
 9時30分に席に着き、師匠を想い出していました。