棋士・女流棋士がふりかえる100年

真田圭一八段「師匠との思い出」

真田圭一

八段

 私が、師匠・松田茂役と初めて会ったのは私が十二才・師匠が六十三才ぐらいの時でした。この時の私はアマチュア五段ぐらいあり、奨励会試験のため、師匠となる棋士を探していました。師匠から見れば孫ほどの少年で、最晩年の弟子という形になりました。
 松田一門は充実していて、当時棋士になって日の浅い加瀬純一四段や女流の長沢千和子さん、当時奨励会員で後に棋士になる木下浩一さん等がいました。他にも奨励会員の先輩が複数と大所帯でした。結局私が最後の松田門下の棋士となりました。
 ただ、奨励会入会後、私が十六才で1級の時に師匠は六十七才で亡くなりました。この時、師匠に初段になった姿すら見せられなかった不甲斐なさを痛感したことをよく覚えています。
 その後、奮起して半年ほどの間に初段、二段と連続昇段しました。
 さて、結局四年間ほどの限られた期間しかなかった松田師匠とのエピソードですが、三つほど印象に残っていることがあります。
 まず一つ目は、奨励会に入るか入らないかぐらいの初期の頃。平手で早指しで三番ほど立て続けに教えてもらう機会がありました。この時、確か二勝一敗ぐらいで、しかも内容的にも快勝といった感じでした。今分かるのは、相当に「緩めてもらった」ということで、自信を持たせたかった愛情が身に染みます。また、一生懸命やっている風をさりげなく見せるところもプロだったんだなあと、今は分かります。
 二番目は奨励会入会後、確か4級くらいの時でした。この時はある意味露骨でした。他の先輩方も複数いる中ではっきり、「真田は弟子の中で一番才能があるかも知れない」と言ったのです。しかも繰り返し言っていたと記憶しています。その時は嬉しいというより戸惑いが大きかったのですが、大変な自信になったのは間違いありません。その後、十五連勝を含む快進撃で、1級まで駆け上がりました。
 最後のエピソードは、これが最も強烈な思い出です。1級に昇級した私は気が緩み、ほどなく八連敗を喫します。この時師匠に「一体どうしたら八連敗もできるんだ!?」と言われたのです。後にも先にも、師匠に叱責めいたことを言われたのはこの一度きり。それだけにこの言葉はききました。この後必死になって降級の危機を回避しました。
 今思えば、孫ほどの年の離れた弟子がかわいかったのでしょう。その愛情に感謝しています。