師匠との思い出
私は数少ない内弟子経験者です。 高校卒業と同時に千葉県にある師匠の家に住み込み、三年間修業しました。 風呂掃除・洗車・廊下拭き・広い庭の草むしりなど、今まで自分がやったことのないことを経験させていた...
師匠との思い出
関屋先生との出会いは、私が中学生の時。当時の私は、毎日のように将棋会館の道場で将棋を指しており、そこで先生にお声がけいただいたのが初めての出会いとなる。 関屋先生には、会館の近くにあった「白馬」とい...
師匠との思い出
師匠の佐瀬勇次名誉九段は弟子が多く、私は晩年の弟子で思い出はそう多くはない。面白いエピソードは沢山あれど、何を書いても兄弟子達と被るようで困ってしまう。 何しろ大所帯なので、一門の集まりは声を掛け...
師匠との思い出
中学生になり、奨励会入りを意識し始めた遠山少年には難題が待ち受けていました。 それは師匠がいない、ということ。奨励会を受験するためには師匠につく必要があるのです。 研修会に所属していた私は、同学年で...
師匠との思い出
私が、師匠・松田茂役と初めて会ったのは私が十二才・師匠が六十三才ぐらいの時でした。この時の私はアマチュア五段ぐらいあり、奨励会試験のため、師匠となる棋士を探していました。師匠から見れば孫ほどの少年...
師匠との思い出
私が師匠と初めてお会いしたのは、昭和50年の夏でした。 私が将棋の世界に興味を持ち、棋士を目指したいと言うのを父に言えなかった母が、知人の紹介で椎橋金司四段を家に招き、私の希望を諦めさせる為でした。 ...
師匠との思い出
師匠の有吉先生と始めて会ったのは昭和51年。 生で見たのはその前の年の昭和50年の岡山天満屋将棋祭りだったと思います。 昭和51年の段階ではまだまだ弱く、奨励会入会の話もありませんでした。 おそらく地元の有...
師匠との思い出
師匠の中村修九段に弟子入りしたのは小学6年生、奨励会を受ける前だった。 将棋界は師匠なくしては棋士を目指すことはできない。特に教室に通うでもなく、大会でも実績のない私に師匠をお願いできる棋士はおら...
師匠との思い出
私の師匠である山本真也先生は、私が関西に住んでいた時から沢山お世話になっております。師匠になっていただいた時は「干渉したり将棋の内容も何も言わないからね。」とクールな感じでとても緊張しました。 私...
師匠との思い出
高校に入る頃から独学で将棋を始め、高1の終わりには日曜日限定で函館将棋センターにも通うようになり徐々に実力を付けていきました。 高3で進路を決める段階では大好きな将棋の世界に入りたいという思いが強...